こんにちは。みやっちです。
いつもは様々なきらら作品の見どころを紹介しているのですが、今回はいつも書いてるものとはちょっと違うことを紹介していきます。
以前、紡ぐ乙女と大正の月というきらら作品を紹介しました。
簡単にストーリーを紹介すると、令和に生きる高校生藤川紡が大正時代にタイムスリップしてそこで公爵令嬢の唯月に助けられ、そこで女学校生として生活していくお話です。
この記事の中で見どころの1つに「当時の日本の姿が見られる」というものを挙げ、例として日本の華族制度を紹介しました。
今回は、その華族制度について紡ぐ乙女と大正の月の内容を絡めながら紹介していきます。
これを読めば、紡ぐ乙女と大正の月を50倍くらい楽しく読めます。
今回の記事は、紡ぐ乙女と大正の月の見どころと感想を紹介【大正のきんモザ!?】の補足記事的な感じになっています。
これ単体でも楽しめますが、個人的には紹介記事を読んでからの方がよく分かると思うのでまだ読んでいない方はそちらも読んでみてください。
そもそも華族制度って何なの?
華族制度とは、明治2年から昭和22年までの78年間存在した身分階級制度のことです。
主に旧大名家や公家、明治新政府設立発展に大きく尽力した家柄がなっていました。
華族の中でも公、侯、伯、子、男とそれぞれ階級がありました。
引用 紡ぐ乙女と大正の月1巻18頁
ここからは紡ぐ乙女と大正の月の登場キャラを交えながら公、侯、伯、子、男の違いを紹介していきます。
公爵
大正に流れ着いて困惑していた紡を助けた末延唯月の家柄はこの位になります。
公爵は主に摂家(摂政や関白になれる資格を持った上位の公家)や、徳川将軍家、国家に特に尽くした人に与えられました。
例えば徳川慶喜やその子の家達、初代内閣総理大臣の伊藤博文の家、岩倉使節団で有名な岩倉具視の家といった感じです。
そんなお方に助けられた紡はある種名誉なことなのかもしれない…?
余談ですが、唯月の苗字である「末延」について調べてみたところ、戦前の実業家で貴族議員にまでなった末延道成という方がヒットしました。
元ネタかどうかはわかりませんが、モデルらしき人はいました。
侯爵
武家の家系生まれの蜂須賀初野と公家華族の久我千歳(雪佳の御相手)の家柄はこの位になります。
引用 紡ぐ乙女と大正の月46頁
侯爵は公家の旧清華家(摂家に次ぐ家柄で太政大臣になれる公家)や15万石以上の旧大名家、国家に尽くした者の家に与えられた位です。
例えば、徳島藩を統治していた蜂須賀家や明治維新で活躍した人の1人西郷隆盛の家、日露戦争で連合艦隊を率いた東郷平八郎の家などが挙げられます。
初野は作品内で触れられている通り武家の家系なので、恐らくモデルは徳島藩を統治した蜂須賀家だと思われます。
引用 紡ぐ乙女と大正の月82頁
ただ、明治以降は事業の失敗や財産をめぐるお家騒動もあり凋落していきました。
2021年8月27日追記)
久我家は村上天皇を源流とした家柄で村上源氏の総本家です。明治維新に入るまでに右大臣、太政大臣などの重職に数多くの人を送っていきました。
清華家の1つで、明治時代に入ると侯爵を与えられました。
当主である久我通久氏は、戊辰戦争時に新政府軍サイドで指揮を執り終戦後は陸軍少将になります。その後宮中顧問官や東京府知事などを歴任しました。
伯爵
唯月のことが好きな万里小路旭の家柄はこの位になります。
引用 紡ぐ乙女と大正の月58頁
伯爵は旧清華家よりは位が下の公家と、5万石以上の旧大名などに与えられる位です。
有名どころで言うと、幕末に大老を務めた井伊直弼を輩出した井伊家があります。
旭の苗字である「万里小路」というのは、鎌倉中期から存在した公家で山城国(現在の京都南部)を根拠地としていました。
明治17年には万里小路通房という方が、戊辰戦争での功績と明治政府での働きが認められ伯爵になっています。
子爵、男爵
紡ぐ乙女と大正の月の主要キャラで子爵令嬢はいませんでしたが華族制度の階級としては存在していました。
子爵では日本資本主義の父と名高い渋沢栄一や首相の座にまで上り詰めた高橋是清などがいました。
2021年8月27日追記)
原作2巻から登場する一条雪佳の家は男爵に当たります。
公爵家の一条家の分家に当たり、土佐一条家と一般的には呼ばれています。
元々は応仁の乱を避けて土佐国に逃れた一条家の人々が、後に土佐一条家として地位を確立していきます。
一度は途絶えますが、明治時代に入り再興され男爵家になっています。
男爵には他にも、細菌学者の北里柴三郎やホテルオークラの創業者の大倉喜七郎などがいました。
華族制度下での上下関係
明治時代から第二次世界大戦後までは、今回紹介している華族のほかに、皇族、士族、平民の大きく分けて4つの身分が存在していました。
この分類で上下関係があるのは当然ですが、同じ華族のなかでも上下関係がありました。
例えば、紡ぐ乙女と大正の月の中でも初野の母が唯月が公爵令嬢だと知ると、急にかしこまるといったくだりがありました。
引用 紡ぐ乙女と大正の月80頁
これも華族のなかでも上下関係がはっきりしていた時代背景を良く表しています。
そして、華族内での上下関係は人間関係だけではありませんでした。
同じ華族でも財政面で大きく差があったといわれています。
唯月の家のように公爵家ならまずお金に困ることはありませんでしたが、子爵や男爵といった下位の華族の中には困窮する家がありました。
とりわけ公家の堂上華族や奈良華族は、財政基盤が弱かったりそもそも財産がすくなかったりしたので特例法で援助金が出るほどでした。
こんな具合にひとえに華族といっても、様々な部分で格差があったのです。
紡のような一般人から華族になれる?(おまけ)
最後に紡のような一般人から華族になることはできるか?です。
まぁ結論から言っちゃうとかなり難しいってところですね。
元武士や皇族以外の人が華族になるには、当時の日本に尽くしたと政府に認められる必要があります。
一般人から華族の称号を与えられた例を挙げるなら、渋沢栄一(農家の家生まれ)や幣原喜重郎(豪農の家生まれ)などを挙げることが出来ます。
見て分かる通り渋沢栄一も幣原喜重郎もとてつもない功績をあげた人物です。
つまり功績をあげること自体困難(上げたとしてもそれを政府に認められるのが)に近いわけです。
まとめ
ということで今回は、紡ぐ乙女と大正の月と明治大正昭和の華族制度について紹介していきました。
あくまでも紡ぐ乙女と大正の月と関連のある部分を中心にピックアップして紹介したので、ところどころ割愛した部分はありますがご了承ください。
ここまでご覧いただきありがとうございました。